Eclip’s blog

真の国際化をめざして・・・世界における日本の競馬

昭和競馬史回顧(1)幻想の無敗神話崩壊の日(前編)

時代は平成を終え、令和元年の今、「昭和は遠くなりにけり」という感慨を持つシニアな競馬ファンも多いのではないでしょうか?
そこで昭和の日本競馬界を震撼させたレースを選び、回顧したいと思います。

第1位:幻想の無敗神話崩壊の日(昭和48年5月27日)

最初の競馬ブーム

アイルランドで供用中だったJRA顕彰馬ウオッカ号が、交配のため滞在中の英国ニューマーケットで右後肢第3指骨粉砕骨折を発症し、予後不良で2019年4月1日に安楽死の処分が取られました。ウオッカといえば、父がタニノギムレット、母がタニノシスターでカントリー牧場生まれという生粋の「谷水ファミリー」馬でした。

谷水ファミリーの先代谷水信夫氏は、ダービー2勝オーナーです。初勝利が初代3強(マーチス・タケシバオーアサカオー)を破ったタニノハローモアで2勝目が「AT対決」といわれた昭和45年のタニノムーティエでした。タニノムーティエと関東の雄アローエクスプレスの対決は、昭和の競馬ブームの先駆けであり、昭和47年の3強(ランドプリンスロングエースタイテエム)を経て、昭和48年の「ハイセイコーブーム」で最高潮に達しました。

神話の萌芽

昭和47年の有馬記念菊花賞に続いて関東馬イシノヒカルの差し切りに終わり、関西馬旋風に一段落が付いたころ、大井にすごい馬がいる、という噂が流れはじめました。

翌年の春に中央競馬に移籍したハイセイコー地方競馬6戦全勝で中央初戦の弥生賞を迎えました。このときにハイセイコーを一目見ようと中山競馬場に詰めかけた観衆はなんと12万を超え、空前絶後の大混雑となりました。

初めての芝、初コースの中山などの悪条件を克服し、なんとか弥生賞を辛勝したハイセイコーの評価は、この時点では微妙なものでした。前評判のわりに強さを見せなかったレースぶりから、陣営は次走に中2週となるスプリングステークスを選択し、怪物の片鱗が披露されることを期待しました。しかし、スプリングステークスでも、2着のクリオンワードに2馬身1/2の差を付けたものの「怪物らしさは見えず」という評価が多かったことは期待値がいかに高かったかと言うことを物語っています。

無敗神話の成立

そして、いよいよクラシック第1冠目の皐月賞を迎えます。のちに「重の鬼」と評され、不良馬場の中山記念で2着のトーヨーアサヒに大差を付けるという快挙を達成したハイセイコーですが、当時はその跳びの大きい走法から、重馬場は不安視されていました。しかし、ハイセイコーは結果として、2着のカネイコマに2馬身1/2の差を付けて快勝し、この時点で世間の評価は一変しました。(続く)