Eclip’s blog

真の国際化をめざして・・・世界における日本の競馬

昭和競馬史回顧(2)幻想の無敗神話崩壊の日(後編)

無敗神話の成立(承前)

そして、不敗神話が頂点を極めたNHK杯を迎えます。ハイセイコーのこれまでのローテーションは、皐月賞トライアルの弥生賞スプリングステークスに両方出走し、皐月賞を迎えるという、厳しいものでした。従って、ダービーには直行するのがセオリーでしたが、陣営はあえてNHK杯を使うことを選択しました。それは、ハイセイコーに物見をする癖があり、初コースで初の左回りの東京コースでダービーを迎えるのは危険だ、という思いが陣営にあったからだと言われています。

共同幻想の無敗神話

NHK杯は陣営の不安が的中し、苦しい戦いになりました。皐月賞2着のカネイコマが直線坂上で先頭に立ち、ハイセイコーに5,6馬身の差を付けていました。この時点で誰もが怪物の敗戦を予感し、悲鳴を上げかけていました。しかし、ハイセイコーはここから一世一代の末脚を繰り出し、カネイコマを捉え、不敗神話を守ったのでした。

NHK杯の結果、大部分のファンと関係者が「ハイセイコーは負けない」という神話が事実である、という幻想を抱きました。記録のゲームでもある競馬において、無敗の成績ほど価値あるものはありません。さらに絶体絶命のピンチに奇跡的な末脚を繰り出して勝つという、劇的なパフォーマンスが花を添えました。ダービーを前にして、タケホープ嶋田功騎手が「ハイセイコーが4つ足なら、タケホープも4つ足」と語ったことが話題になりましたが、それほど当時のムードが「無敵ハイセイコー」一色だったことを物語っています。

神話の崩壊

第40回東京優駿日本ダービー)の当日、昭和48年5月27日の東京は好天に恵まれ、のどかな雰囲気でした。しかし、レース後、東京競馬場の来場者だけでなく、テレビ観戦をしていた全ての競馬ファンの間に異様な、これまでに経験したことがない空気が流れました。後から振り返って見れば、さまざまな要因が重なった結果の敗戦というべきでしょう。ローテーション、距離、レース展開、すべてがハイセイコーの足を引っ張りました。ローテーションは、陣営の問題で、距離は、先着したタケホープイチフジイサミがいずれも後に3200mの天皇賞を勝利しているように相対的な適性の問題ですが、注目すべきはレース展開でした。

登録はフルゲートの28頭(カミノテシオが取り消して発走は27頭)で、ハイセイコー以外のすべての馬の騎手が「なんとか負かしてやろう」と騎乗していたことは間違いありません。当時では珍しい地方競馬出身の非良血馬にダービーを勝たれたくない、という思いが競馬サークルになかったとは言えないでしょう。ハイセイコーはその包囲網の中、もがき、結果的に早く先頭に立ちすぎ、末脚を無くして3着に敗れました。

今風に言えば、フラグを立てまくった結果の「お約束の敗戦」といえるでしょう。全てのアンチも含めたハイセイコーファンの「無敗神話幻想」が現実の前に打ち砕かれた、日本競馬歴史上最も劇的な敗戦がそこにはありました。その後のハイセイコー人気はいわば共同幻想の犠牲者に対する無意識的な贖罪行為だったのかもしれません。