Eclip’s blog

真の国際化をめざして・・・世界における日本の競馬

昭和競馬史回顧(4)黒船艦隊、府中を制圧(後編)

第1回ジャパンカップの出馬表(承前)

メアジードーツは勝ち星はG2まででしたが、ザベリワンと接戦しており、米国勢では2番手の5番人気、もう一頭の米国馬のペティテートはフランスG2勝馬でしたが8番人気でした。


一方、カナダからの遠征馬は、当時カナダが日本と同じく国際化されていなかったため低評価で、フロストキングの9番人気が最上位でした。

ホウヨウボーイモンテプリンスにゴールドスペンサーを加えた日本馬2~4番人気の3頭は前走の秋の天皇賞(東京3200m)で1~3着と当時の日本では屈指のステイヤーであり、ザベリワン以外とは対等に戦えるとの見立てで人気を集めていました。

坂下の衝撃

当日、1981年11月22日は好天で、初の国際競走を迎える府中の東京競馬場は内装も一変し、インターナショナルな雰囲気を醸し出していました。

良馬場で行われたレースは、「日の丸特攻隊」と異名を取ったサクラシンゲキですが、ここは大逃げを打たずに平均ペースで逃げるとブライドルパースとフロストキングがこれに続き、以下は離された縦長展開のまま欅を過ぎました。

第4コーナーで真っ白な馬体のフロストキングがサクラシンゲキを交わし直線へ。日本中のファンは、ホウヨウボーイモンテプリンス天皇賞の再現を期待して注視していましたが、両馬ともまだ馬群の中でもがいています。

早めに先頭に立ったフロストキングが埒沿いに粘るところに外から米国馬の3頭が一気に差を詰めてきます。そのスパートに日本馬は全くついて行けずに取り残されます。最後はメアジードーツがフロストキングを交わして日本レコードで優勝しました。この4コーナーから直線の攻防は、日本中のファン、競馬関係者の全てに衝撃と絶望を与えたと言っても過言ではないでしょう。

 

着順 枠番 馬番 競走馬名 タイム 着差 人気
1 8 14 メアジードーツ 2:25.3 レコード 5
2 1 1 フロストキング 2:25.5 1馬身 9
3 6 11 ザベリワン 2:25.7 1 1/2馬身 1
4 2 3 ペティテート 2:25.7 クビ 8
5 5 9 ゴールドスペンサー 2:25.8 1/2馬身 4
6 2 2 ホウヨウボーイ 2:26.1 1 3/4馬身 3
7 8 15 モンテプリンス 2:26.2 1/2馬身 2
8 4 6 ジュウジアロー 2:26.9 4馬身 11
9 5 8 サクラシンゲキ 2:26.9 アタマ 12
10 3 4 タクラマカン 2:27.0 クビ 6
11 7 12 メジロファントム 2:27.1 3/4馬身 7
12 3 5 ラフオンテース 2:27.7 3 1/2馬身 10
13 6 10 オウンオピニオン 2:28.7 6馬身 15
14 4 7 ブライドルパース 2:28.7 ハナ 13
15 7 13 ミスターマチョ 2:29.8 7馬身 14

 

発馬のアクシデントがあったホウヨウボーイと当時まだ完成途上だったモンテプリンスには不運な面もあったとはいえ、日本のチャンピオンホースが一瞬で引き離されたという現実、しかも相手は必ずしも超一流とは言えないクラスの牝馬であったということは、世界の競馬に日本が追いつくには何十年もかかるのでは?という危惧を抱かせるのに十分な事実でした。

それまでは、外国遠征は不利で勝てなくてもしょうがないが、自国開催なら勝負になるのでは?といった雰囲気も強かったのですが、この事実を目の当たりにして全く言い訳のできない力の差を認識したことが、全ての競馬関係者、特に馬産にかかわる人々の意識を変革し、その後の日本競馬の発展の礎になったことは間違いないと思われます。

そういう意味では、JRAが当時世界一の1着賞金を提示し、世界に目を向けてもらおうとし始めたことは時宜にかなったGoodJob!だったと言えるでしょう。日本経済の停滞とともに世界一の賞金レースというタイトルはとっくにどこかに行ってしまったジャパンカップですが、パート1国になったにもかかわらず外国馬のGレース出走が希なJRAとしては、初心に返って新機軸を打ち出しは如何?と思う今日この頃です。