Eclip’s blog

真の国際化をめざして・・・世界における日本の競馬

昭和競馬史回顧(6)20世紀に君臨-皇帝が敗れた日(中編)

追悼・・・ディープインパクト

突然のことで競馬関係者のみならず、多くの人々にショックを与えたディープインパクト号の訃報でした。既に多くの後継種牡馬を残していたことがせめてもの慰めです。

国内ではほぼ無敵の戦績を残しましたが、凱旋門賞は残念な結果でした。レース後に武豊騎手がインタビューを試みた合田直弘氏を完全スルーした光景が全てを物語っていました。

なぜ、日本の最強馬が海外で結果を残せないのか?ディープインパクトは、先輩最強馬のシンボリルドルフの轍を踏んだ、と言えるのかもしれません。

史上初の無敗三冠馬の出現

ダービーを無敗で制したシンボリルドルフは、いよいよ前人未踏の無敗の三冠馬に向けて、セントライト記念を楽勝し淀に向かいました。春のライバル・ビゼンニシキは既に無く、2番人気は稀代の癖馬ニシノライデンでした。レースでは、早めに先頭に立ったニシノライデンシンボリルドルフが交わしたところを7番人気のゴールドウェイが外から強襲し、これまでで最も僅差の3/4馬身差まで詰め寄りましたが、これを凌いで無敗の三冠達成となりました。

ジャパンカップへの挑戦

シンボリ牧場のオーナーの和田共弘氏は、スピードシンボリをワシントンDCインターナショナル競走に出走させるなど、当時としては珍しく海外志向の強いオーナーブリーダーでした。そのため、ダービー勝利後のシンボリルドルフに海外遠征のプランも浮上して、秋には凱旋門賞に挑戦!というニュースが流されたほどでした。しかし、結局夏場に体調を崩し遠征は断念されていました。

通常は3冠を戦った4歳馬(当時の呼称)が菊花賞から中1週でジャパンカップに出走する、という選択肢はまず考えられないものでしたが、オーナーサイドの思惑がシンボリルドルフを初の敗戦となる第4回ジャパンカップへと向かわせたのでした。

レースはしかし意外な展開となり、イギリスの最強せん馬ベッドタイムは2着でシンボリルドルフはベッドタイムにわずかに及ばず頭差3着。ラビットとみなされたか単騎大逃げを打ったカツラギエースが逃げ切り、史上初の日本馬の優勝となりました。

カツラギエースも強い馬でしたが、当時の競馬サークルは、展開の利で実力勝ちではないから手放しで喜べない、という雰囲気でした。

最強古馬への道

ジャパンカップではカツラギエースの後塵を拝したシンボリルドルフでしたが、次走の有馬記念では完勝し、実力ナンバーワンを印象づけました。明け5歳となった翌年は日経賞から始動し、単勝元返しという人気に応え楽勝すると、淀の天皇賞でもミスターシービーらを抑え、古馬最強を証明しました。(続く)